心療内科医として母から学んだこと

初めまして、信愛クリニック非常勤医師の瀬田です。私はいまは世田谷区に住んでいますが、毎週月曜日に大船の地に足を踏み入れるのが週初めの楽しみになっています。その土地に流れる独特な空気感を感じると、脳が新鮮な空気を吸っているような感覚で、緊張とリラックスが同時に訪れ不思議な気持ちになります。湘南地区に流れるその空気は世田谷のそれとは大きく違い、自分にとってはどちらも心地よく染みわたります。

信愛クリニックでは毎週心療内科診療を通じて多くの患者さんの悩みや苦しみをうかがいながら、時に共感し、時にアドバイスをしながらこちらも学ばせていただいています。

思い返すと私が初めに接した心療を必要としていた人は母でした。働くのが大好きな母は出版社で働きながら、ヤンチャでどうしようもない喧嘩ばかりの男3兄弟を優しく、そして厳しく育てていました。そんな母はどうやらパニック障害とうつ病に日々悩まされているようでした。こどもの自分には母が何に悩んでいるのか、どう苦しいのか今イチ分かりませんでした。ほとんど「電車」に乗れないので遠出の旅行に行けないのが当たり前のこととして疑問にすら思っていませんでした。気遣い屋で負けず嫌いの母は仕事場では弱音を吐かず、帰ってその分のストレスや疲れ、弱音を全力で吐き出すことになり、病状は悪化し、重ねて不幸も重なり、仕事を続けることもできなくなりました。当時の自分には苦しむ母に何もすることができず、こどもに弱い所を見せたくない母が戦っている姿を見ていることしかできなかった歯痒さを覚えています。しかしそんな中で母を支え続けたのは、父でした。家事を全てこなし、受験中で栄養が必要な私の食事を全て作り、母親のために60歳を過ぎて運転免許を取得し、電車に乗らないで済むようにしてあげたのです。

その後母は時間をかけて回復の一途をたどり、還暦を迎えた現在では某リゾート会社の広報として日本中を「飛行機」に乗って元気に飛び回っており、息子達よりも忙しく寝ずに働いています。自分にとって物心のついた時から目の前にいた母は、私にふたつのことを気づかせてくれました。

ひとつめは耐えきれないほどツラいときには家族の支えが何よりも大切なこと。理解・共感を示し、支えてくれる愛のある家族がいることは人生の至福です。
ふたつめは身近な誰かや、時には自分の精神すら病んでしまう可能性はつねにあり、他人事ではないのです。そして同時に必ず今より少しでもよくなる道はあります。

信愛クリニックを通じてそのサポートをするのが使命だと思わせてくれた母の話をご紹介させていただきました。

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