信愛クリニックの軌跡

毎年、4月になると心療内科の初診患者さんが増え始めます。
皆さんも、環境が新しくなる中で、頑張っていることでしょう。

前回は現代精神医療がどうなっているのか、について述べました。
今回は、Human willのカウンセリングが始まってから、私の心療がどのように変化していったかをお話しようと思ったのですが、その前にカウンセリングが始まる前の信愛クリニックでは、どんな医療を提供していたのかをお伝えします。

私が「内科医に精神科診療を教えるPIPCセミナー」を全国で講演し始めたのは、10年前のことです。
セミナーで私は、内科医にむけて、『依存性の強い安定剤を処方するのはやめて、将来的に薬が要らなくなる抗うつ薬を処方しよう』と呼び掛けてきました。

当時は内科医だけでなく精神科医も、患者さんが不眠や不安を訴えたときには、ベンゾジアゼピン系と呼ばれる安定剤(以下ベンゾ系薬)を処方するのがお決まりでした。デパス、ソラナックス、ワイパックス、レキソタン、ホリゾン、マイスリー、ロヒプノール・・といった薬は、医療職であれば誰もがきいたことがあるでしょう。

これらベンゾ系薬は、服用すると直ちに効果を感じます。
ある患者さんは、ベンゾ系薬を服用したとたん、後ろにすーっと引き込まれる感じがする、と言いました。動悸はおさまり、ざわついた感覚があっという間に消えて、もやもやした感じがなくなります。

しかし初めてベンゾ系薬を服用したときは、それほど効いたのに、10日も服用を続けると以前のようには効かなくなります。そこで薬の量を増やすのですが、服用量を二倍にしても効果はわずかしか増えません。増量してもベンゾ系薬の効果には限界があるため、増えた薬の副作用で頭はぼーっとして言葉がもつれますが、肝心の不安は消えないのです。仕方なく他のベンゾ系薬を追加することになり、あっという間に薬の種類と量が増えるのです。しかも、それだけではありません。
薬がきれると、以前よりも強い不安に襲われ、薬の禁断症状によって身体の具合までおかしくなります。気づけば、大量のベンゾ系薬を服用しつづけなくてはいられない身体になっているのです。それでいて、どれほどベンゾ系薬を長期間服用しても、決してベンゾ系薬が要らない状態にはなりません。そもそも薬を服用し始めるきっかけとなった、動悸や不安やモヤモヤは、何ひとつ改善していないからです。

例えるなら、虫歯の治療は放置したまま、すぐに効かなくなってしまう痛み止めの量と種類だけが増えてゆくようなものといえば伝わるでしょうか。

こうして私は自分の診察からベンゾ系薬を排除してゆくうちに、重大なことに気づきました。これまでの精神医療に欠かせなかったベンゾ系薬を、使わない方が患者さんは良くなるのです。ベンゾ系薬は感覚を麻痺させることで、今ある不安を回避します。そして不安は、回避すればするほど強くなります。なぜなら起きてもいないことを心配しているのが不安ですから、しっかり見つめてしまえば、その実態は大したことはないのです。
しかし必死に不安から逃げようとすればするほど、ますます『そうなったらどうしよう』という思いが強くなってゆくわけです。不安と向き合い自分の力で乗り越えるのではなく、ヤクでごまかして逃げている限り、そんな自分を誇りに思うこともありません。

一方で、抗うつ薬は、不安を感じなくさせるのではなく、不安自体の発生を抑える効果があります。さらにベンゾ系薬のように、やがて効かなくなることもなく、服用を続けても依存が生じないので、私はベンゾ系薬の代わりに抗うつ薬を使い、それを普及させる活動を重ねてきました。

欧米諸国でベンゾ系薬の乱用が麻薬に準じる問題であると認識されたのが2001年であるにも関わらず、日本ではごく最近まで長期処方が何の制約もなく可能であり、欧米先進国の5倍以上の処方量が今に至るまで続いています。
やっとこの1~2年で厚労省はベンゾ系薬の処方を規制し始めましたが、臨床現場では依然として複数のベンゾ系薬を1か月連用する処方が当然のように行われているのです。

実際に抗うつ薬は、よく効きます。
抗うつ薬の服用を始めてから効果が出るまで1週間から10日ほどを要しますが、最終的にはほぼ全ての患者さんに、何らかの効果があります。夜はよく眠れるようになり、不安がなくなり、苦しかった身体の症状が完全に消えることもしばしばです。

では,、さっさと抗うつ薬だけ出せばいいのかというと、そうではありません。
患者さんの事情を理解して、それに共感を示し親身になって支えようとする姿勢が伝わってこそ、患者さんは薬を服用する気になり、服用初期に必発する副作用も乗り越えることができます。

身体や心の問題を抱えてやってきた患者さんの話をよく聞いて、きちんと診断して、それに応じた薬を処方して、服用と通院を続けるうちに症状はすっかりよくなってゆく・・これはこれで医療として成り立ちます。だからこそカウンセリング実施前から信愛クリニックには3000人を超える患者さん(平均的な精神科・心療内科クリニックの5~6倍)が、心の問題で通院をしていたのです。

ここでひとつ前の記事『究極の精神医療とは、つまり・・』で出てきた、俺様パワハラ課長が着任してから会社にいけなくなった33歳の女性の件を、もういちど見てみましょう。

彼女は抗うつ薬を服用し、医師の復職支援を得てパワハラ課長がいない課に異動することで、無事復職を果たしました。
しかし幾ら薬を服用したところで、彼女の根底にある自己否定が消えることはありません。なぜならそれは、彼女の親が『不出来な子は許しません』という接し方で彼女を育ててきたために、彼女は親の期待に応えきれなかった自分を否定し続けているからです。

そんな彼女は、人と親密な関係をつくることは難しいでしょう。本当の自分はダメだと信じているため、誰かと親しくなったところで、自分がダメな人間であることがバレたら誰もが離れていくに違いないと思い込んでいるからです。さらにそんな彼女は何かに挑戦するということを避け続けることでしょう。なぜなら挑戦したところで、ダメな自分はきっと失敗するに違いないと思いこんでいるからです。

ストレスによって会社にいけなくなった彼女を通院によって復職させただけでも、医療としての価値はあります。しかし会社に戻れてよかったね!と心から祝福する気持ちに、私はどうしてもなれないのです。それは、彼女が生き方や考え方そのものを変えない限り、真のパートナーシップも友情も得られないまま、会社に人生を埋もれさせてしまうようにしか思えないからです。

できることなら彼女には幸せになってほしい。

そのためには、親の呪縛から自らを開放するために過去と向き合い、自己を再確立して、今までとは違った質の人間関係を築いてゆけるようになる必要があります。
そしてそれは、抗うつ薬をどれほど服用したところで、決して得られるものではないことを皆さんもお分かりだと思います。

だからこそ私は、究極の精神医療を求めてHuman will projectを始めたのです。

次に、いよいよカウンセリングの導入によって、信愛の医療がどう変わったのかをお話します。

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